大判例

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東京地方裁判所 平成元年(ワ)10650号 判決

原告

財団法人

日本野鳥の会

右代表者理事

山下静一

右訴訟代理人弁護士

久保田康史

右訴訟復代理人弁護士

中山ひとみ

被告

平澤正夫

右訴訟代理人弁護士

小原健

松原暁

朝比奈秀一

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇万円及び内金四〇万円に対する昭和六三年二月五日から、内金一〇万円に対する平成元年八月二五日から、各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一請求

一被告は、原告に対し、別紙第一記載の謝罪広告を、二段ぬき幅一〇センチメートルの大きさで、見出し・原告及び被告名を四号活字、本文を五号活字をもって、朝日新聞の朝刊全国版の社会面及び広告欄に一回掲載せよ。

二被告は、原告に対し、金五五〇万円、及び内金五〇〇万円に対する昭和六三年二月五日(不法行為の日)から、内金五〇万円(弁護士費用)に対する平成元年八月二五日(訴状送達の日の翌日)から、各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  原告は、「①野鳥を中心とする自然環境の保護、②野鳥保護思想の普及教育、③野鳥に関する調査研究」を目的として、昭和四五年一一月に設立された財団法人である。

2  本件記事の掲載

被告は、株式会社光文社(以下「光文社」という。)発行の月刊誌「宝石」の昭和六三年三月号において(以下「宝石三月号」という。)、「自然保護の美名の下でおしすすめる『日本野鳥の会』のあこぎな金集め」と題する、別紙第二の「名誉毀損箇所一覧表」に摘示した部分(以下「本件各記述」といい、それぞれの箇所を「本件記述(一)」などという。)を含む記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、宝石三月号は同年二月五日ころ発行され、不特定多数の者に閲読された。

なお、本件記事を掲載した光文社は、原告に対して、平成元年の「宝石」六月号において、謝罪の意思を表明した。

3  原告自身の公共性

(一) 原告は公益に関する財団であって、営利を目的とせず、主務官庁の認可を受けて設立されたいわゆる公益財団法人である。原告は、全国に二万五〇〇〇名もの会員を擁すると称し、日本全国の野鳥の会の活動の軸、あるいはコーディネーターとしての機能を果たすことをめざし、野鳥を中心とする自然環境の保護、あるいは野鳥に関する調査研究を目的として掲げ、たとえば国の特別天然記念物であるコクガンの保護に関連して募金集め、受託調査、環境アセスメント調査などの諸活動を行い、またその活動資金を確保するため、野鳥保護あるいは自然保護の目的を掲げて多数の個人あるいは企業など多方面から多額の寄付や募金集めを行っている。原告の活動ぶりはしばしばマスコミに紹介され、国民の耳目に触れているのであって、原告の組織運営やその活動に関する事実は公共の利害に関する事実である。

(二) 訴外市田則孝「以下「市田」という。」は、現在原告の常務理事と事務局長とを兼務している。

二争点

1  本件各記述は原告の名誉を毀損するかどうか。

2  本件各記述は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的の下に掲載され、その摘示された事実が事実であるかどうか。

3  被告が本件各記述において摘示した事実を真実であると信じたことにつき相当の理由があるかどうか。

4  本件記述(一)、(四)及び(五)について、公正な論評の法理により不法行為責任が免責されるかどうか。

5  原告が本件記事の掲載によって被った損害額

第三争点に対する判断

一争点1(本件各記述の内容が原告の名誉を毀損するか。)について

本件各記述について、宝石三月号に掲載された本件記事全文(〈書証番号略〉)との関連において以下検討するが、本件記事において、被告が主要なテーマとして掲げようとしていた事項は、第一に「株式会社・日本野鳥の会」の商業主義であり、第二に「『市田天皇』のマキャベリズム」ということであると認められる(〈書証番号略〉、とくにその一六四頁、第三段)。

1  まず、本件記述(一)は、原告がサンクチュアリ建設のためにツル保護特別委員会を設けて募金を開始し(以下「本件ツル募金」という。)、調査、土地購入、ネイチャーセンターの建設などを行ったが、「昭和六十年度ツル保護募金収支決算」(以下「本件募金収支決算」という。)によれば、人件費、旅費交通費、家賃などツル保護に直接かかわりのある項目にはひとつも出費されていないのであって、サンクチュアリ建設のために募金した者にとって驚くべき結果であるとして、被告の論評が加えられており、結局、本件記述(一)が原告の「商業主義」を裏付けるエピソードとして執筆されていることが認められる。

右のとおり、被告は、本件ツル募金がツル保護に直接かかわりのある項目に出費されていないと記述するのみで、ツル保護に全く関係のない項目に支出されたと記述しているわけではない。しかし、被告は本件記述(一)において、「ツル保護に直接かかわりのある項目はひとつもなく」と断定的な表現をしており、またサンクチュアリ建設への支出以外の事項に対する支出について「使途がこのように化けたとすればおどろくにちがいない。」等右支出が本件ツル募金の目的に反するかの如き記述をしており、一般読者に対して、原告が本件ツル募金の目的に反する支出を行っているかの如き印象を与えるものと認められ、本件記述(一)は、原告に対する社会的評価を低下させるものということができる。

2  本件記述(二)は、いずれも原告のもと常務理事であった訴外山口正信(以下「山口」という。)の発言内容を記載したものである。その(1)においては、ツル保護特別委員の訴外中村玲子(以下「中村」という。)が国際ツル財団に対して資金援助の話をして喜ばせたものの、市田が国際ツル財団会長の訴外ジョージ・アーチボルド(以下「アーチボルド」という。)に対して「山口のやっている日本支部がある限り、ビタ一文出せない」と発言して、資金援助に対する態度を変えてしまったため、アーチボルドが「外国支部を廃止することにした」と一方的に通告してきたと記述することにより、市田が国際ツル財団に対する資金援助の話を奇貨として、アーチボルドに対して圧力を加え、同人に国際ツル財団日本支部の廃止通告をさせたことを伝えようとしたものであると認められる。また、その(2)においては、山口証言として、山口が本件ツル募金の決算報告を吹聴しているために原告が文化庁の行う委託調査を受注できず、資金繰りに齟齬をきたした旨の右市田の発言を引き合いに出したうえ、山口としては、市田がその「腹いせ」から国際ツル財団本部と同日本支部とを引き裂いたと判断した旨記述しており、右(1)記述と同様に、市田が圧力をかけ、国際ツル財団日本支部の解散に影響を与えたことを伝えようとしているものと認められる。そして、右(1)の記述と(2)の記述とは相互に関連し、結局、本件記述(二)の趣旨は、原告がツル保護に関する国内的、国際的発言の場を確保するためにアーチボルドに対して圧力を加えて、国際ツル財団日本支部を解散させた、ということにあるものと認められる。そして、右記述の掲載は、一般読者に対して、原告が国際ツル財団日本支部を廃止させるために圧力をかけ、日本支部の解散に関係しているとの印象を与えるのであって、右記述の掲載により、原告に対する社会的評価が低下することがあり得るものと推認される。

3  本件記述日(三)(1)は、原告の保護部長であった小河原孝生(以下「小河原」という。)は「メシのくえる自然保護」を強調し、サンクチュアリのある鶴居村村長の発言として、原告が開発に反対するかと思ったがそうではないことがわかって安心した旨を引き合いに出したことを記述している。この「メシのくえる」とは、本件記事全文を通して読めば、開発と共存共栄していく自然保護を意味するとともに、原告自身(原告の職員)が「メシ」を「くえる」ことも意味するものと認められる。また、同記述(三)(2)は、原告自身(原告の職員)が「メシをくうために」金になるような委託調査を受注せざるをえないとの記述となっている。そして、右記述のいずれも、一般読者をして、原告の行う自然保護は、原告自身が「メシをく」うために行われているのであり、かつ委託調査の受注も原告自身が「メシをく」うためになされるかの如き印象を与え、結局、原告が自然保護活動に関して本末転倒のような態度をとっているかの如き印象を与えるものと言わざるを得ない。したがって、自然保護を事業の目的に掲げる原告にとってみれば、自然保護を自分たちの生活のために利用しているかの如き右記述は、原告の自然保護活動のあり方に対する一般社会の評価を低下させるものであって、原告に対する社会的評価の低下を招くものであるということができる。

4  本件記述(四)においては、日本の環境アセスメントは、開発主体である行政・企業自身が行うことから、受注者は開発主体に都合のいい環境アセスメントをしない限りは二度目の環境アセスメントの注文がとれなくなるとし、原告も「その」例外ではないとして、暗に原告も二度目の注文を受けるために開発主体側に都合のいい環境アセスメントをすることを匂わす記述がなされ、その具体的な例として「蒲生干潟環境保全対策基礎調査」を挙げ、右調査を開発のための免罪符であるとしたうえ、原告が右調査のうちの鳥類への影響の調査を引き受けるに際して「取引」が行われ、その取引の結果として、埋め立て海域の一角に干潟を残して原告管理のサンクチュアリとし、かつ蒲生干潟保全管理計画も原告が委託事業として受注したと記述している。そして、右「取引」の内容としては、本件記事全文を通して読む限り、一般読者に対して、原告が委託者である宮城県側に都合のいい環境アセスメントをする代わりにサンクチュアリの保護管理や委託事業を受注するかの如き印象を与えるものであることが認められ、さらにかかる記述の掲載により、原告の自然保護団体としてのあり方に対して疑問を抱かせることは容易に推認されること、とりわけ「開発に身売りした『メシくう自然保護』のなれの果て」という激烈な表現を用いて原告の右調査受注に当たっての態度を論評していることを併せ考えれば、右記述の掲載により原告に対する社会一般の評価は低下するものといわなければならない。

5  本件記述(五)(1)において、市田は原告の常務理事及び事務局長を兼務し、しかも常務理事の直属下に資金部をもち、原告の金庫のカギを握っているのであるから、市田は天皇というにふさわしい権力を集中させている旨の事実摘示ないし論評を加え、さらに、市田が右のように天皇というにふさわしい権力を集中させていることを前提として、同(2)において、原告の各県支部の役員は、市田天皇の「股肱の臣」であり、特に訴外川崎惟男(以下「川崎」という。)及び訴外塚本洋三(以下「塚本」という。)は「市田氏のイエスマン」となることによって自らのポストを維持しているとの論評が加えられているところ、右記述の掲載により、一般読者をして、原告は財団法人でありながら、現実には市田個人が天皇のように権力を集中させている非民主的な組織であるとの印象を与えることは容易に推認されるところである。そして、原告のような財団法人は、本来寄付行為に則って運営されるべき存在であることを考え合わせると、本件記述(五)の掲載により、原告が非民主的な組織であるかの如き印象を与えるとの意味においては、原告に対する社会的評価を低下させるものということができる。

なお、本件記述(五)は被告が本件記事において訴えようとした「『市田天皇』のマキャベリズム」を物語る具体的内容の一つであり、市田個人がいかに原告内部において、その権力を握っているのかについて記述し、論評を加えたものであるとの側面が強いと認められるけれども、右記述の掲載により、一般読者をして、原告は財団法人でありながら、現実には市田個人が天皇のように権力を集中させている非民主的な組織であるとの印象を与えるのであって、原告自身に対する社会的評価を低下させるものであることは否定しがたい。

二争点2ないし争点4について

公然事実を摘示して人の名誉又は信用を毀損した場合であっても、当該行為が公共の利害に関する事実にかかり、もっぱら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実がその主要な点において真実であることが証明されたときは、その行為の違法性が阻却され、また右事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者において、その事実が真実であると信じ、しかもそのように信ずるについて相当の理由があったときは、右行為の故意又は過失を欠くものとして、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

そこで、本件記事が右要件を充足するか否かについて順次検討する。

1  公共の利害に関する事実

本件記事は、前記判示のとおり、原告が行ったツル募金の使途に問題があること、原告の自然保護活動のあり方が商業主義的であること、原告の組織運営について市田が天皇と呼ぶにふさわしい支配をしていることなど、事実を摘示し、あるいは論評を加えたものであるところ、原告自身の組織運営及びその活動に関する事実は公共の利害に関する事実であるということができ(この点については、当事者間に争いがない。)、被告が本件記事において摘示した事実は、公共の利害に関する事実にあたるものと解される。

2  公益目的

本件記事は、原告の組織運営及び活動に関する事実を摘示し、あるいは論評を加えることにより、その問題点を指摘して批判的な執筆を行ったものであることが認められるところ、原告は財団法人にして、その公益性が強い法人であるというべきであるから、本件記事は原告の公益性について事実を摘示し、あるいは論評を加えたものであって、その記事の掲載は専ら公益を図る目的に出たものと認められる。

3  本件各記事内容の真実性及び真実性の誤信についての相当な理由

(一) 本件各記事の執筆に関する被告の取材の経過

まず、被告の取材経過についてみると、証拠(〈書証番号略〉、証人市田、同小河原、被告本人及び弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は昭和六一年一一月ころから原告の会としての行動に関心を持つようになり、翌六二年一二月始めころ、光文社発刊の月刊誌「宝石」の編集室の新海均に対して自然保護団体とみられている原告の実態がそうしたイメージから全くかけ離れていることについて執筆したいとの企画を持ち込み、同月二〇日ころに、右「宝石」の編集会議で、右企画が採用された。以後被告は、昭和六三年一月四日から八日まで沖繩に行き、原告の山原地区への進出計画についての取材を行ったのをかわきりに、右企画についての具体的な取材にあたった。

(2) そして、昭和六三年一月一三日及び一四日の両日にわたって、原告の本部において、当時、原告の保護部長であった小河原に対する取材がなされた。被告は、当初市田に対する取材を申し込んだが、多忙のため会えない、ということで原告から被告の取材を受ける者として右小河原が指定された。

小河原からの取材では、被告は、沖繩の山原地区における原告主催のキャンペーン・プロモーション及びその際に生じた問題点についての説明、本件ツル募金の使途(昭和六〇年度分)についての説明、とくに人件費、旅費交通費及び家賃の位置付け、サンクチュアリ建設の基本構想などの説明を受けた。また、基本的な資料として、直近年度の事業報告書、同計画書及び寄付行為などを提供された。さらに、原告の近況を把握するために、被告は、小河原から、昭和六二年一月号から取材当時の最近号である昭和六三年一月号までの合計一三冊の機関誌「野鳥」を借りた。

被告の小河原に対する右取材の中で、同人から人件費及び家賃については本件記事に掲載された内容の説明がされ、また同人から、沖繩の山原地区の保護活動について、キャンペーン.プロモーションの色彩が強すぎたとの発言、要旨「ツアーを組むことで収益を得るのがなぜ悪いのか、カスミを食べては生きていけない」旨の発言及び「自然保護ではメシがくえない、原告の方ではくえるようにしたいと思っている」旨の発言がされた。「メシ」が「くえる」という意味について、小河原は、地元が経済的に成り立つような地域振興の中での自然保護という意味で用いて被告に説明したものの、被告の理解を得るに至らなかった。

なお、一月一三日の小河原に対する取材が終わった後に、被告は市田に、原告の本部の玄関先で出会い、その際、原告の本部において取材がなされた。しかし、その後は、市田の方から取材を拒否する態度を取られたため、市田に対する取材はなされてはいない。

(3) その後、被告は、同年一月一四日には、原告のもと事務局長であった訴外竹下信雄(以下「竹下」という。)に対して取材をし、同人から、訴外中西悟堂(以下「中西」という。)と市田の関係などについて聞き、また同月一六日には千葉県野鳥の会の会長である訴外石川敏雄(以下「石川」という。)に対して取材をし、同人から、昭和五六年一月に石川が支部長を勤めていた千葉支部が本部によって支部承認を取り消されたこと及び中西が昭和五五年原告の会長を辞任したときの経緯について聞いた。さらに同月一八日には中西の妻訴外中西八重子(以下「八重子」という。)に対して取材をした。右八重子からは、竹下及び石川から取材した際と同様、昭和五四年一二月の中西の辞任間題について、「右問題は市田が仕組んだクーデターのようなものであり、中西は事実上原告の会長の地位から追放された」旨の、市田が事務局長になるに至る経緯について、原告の初代事務局長の内田康夫(以下「内田」という。)に関し、「市田から批判等を受けて辞めざるを得なくなった」旨の、二代目事務局長の訴外奈良部博に関し、「同人が市田から仕事面で嫌がらせを受けて仕事ができないような状態に追い込まれ、結局事務局長を辞めざるを得なかった」旨の、さらに三代目事務局長竹下に関し、「市田が同人のことを病気がちであるなどといって辞めざるを得ない状況に追い込んだうえ、市田が四代目の事務局長に就任した」旨の、編集権及び人事権について、「市田らが勝手な振る舞いをしていたため、中西や理事会のひんしゅくを買い、その結果として理事会で市田を解雇するという決議がなされた」旨の話及びその後の顛末についての話をそれぞれ聞いた。また、被告は、同女から、昭和五四年一二月開催の全国支部長会議において組織検討委員会が設立された後、塚本が複数の人を連れて中西宅に来て、会長を辞めるように大声で怒鳴ったりしたことなどの話も聞いた。

また、同月一八日には、被告は山口も取材し、右八重子から聞いた内容と向様の、原告が財団になる際の事情、市田が原告の事務局長になるに至る経緯、中西が辞任するに至る経緯及びその前後の事情を聞き、また本件記述(二)において摘示されたところと同旨の内容の話を聞いた。

なお、被告は、本訴事件の裁判が始まってから、右山口から呼びかけ文草稿(〈書証番号略〉)なるもののコピーを入手し、それが中西作成の文書であることについては八重子に対しても確認を取った。

(4) 被告は、蒲生干潟問題に関し、蒲生を守る会の会報「蒲生を守る会だより」を参考にしたほか、同会の訴外山田しよう(以下「山田」という。)に、本件記事の脱稿後の同月二五日、電話取材して、同会の内容等について若干の説明を求めたことがあった。

(5) 被告は、右認定の取材経過のほか、収集しておいた資料を参考にし、これらを併せ検討の上、昭和六三年一月一九日から本件記事の執筆を始め、同月二一日には「宝石」の編集部の新海均に原稿を渡した。

なお、月刊誌の場合、一か月単位の記事がほとんどであり、記事を書くための取材に当てられる日数は実質的には二、三週間であり、時間的制約を伴う。

また、被告は、小河原に対する取材後に原告内部に資金部が存在することを知ったが、その後の取材の中で、右資金部がいかなる仕事をしているのかについては何ら裏付け取材をしなかった。

(二) 本件記述(一)について

(1) 証拠(〈書証番号略〉、証人小河原、被告本人)によれば、次の事実が認められる。

ア ツル保護特別委員会は、ツル保護のため人々が連帯的場を作る必要があるとの認識から、昭和六〇年に野性のツルを絶滅から守り、人間とツルのよりよい共存をはかることを目的として原告の特別委員会という形式で発足し、原告の編集部主任であった中村が事務局長を勤めていた。そして、同委員会は①全国規模でのツル保護キャンペーンの展開、②ツル保護活動の資金とする募金活動、③国際協力体制の確立と推進等を当面の活動としていた。右活動の一環として、昭和六〇年一月一二日に開催された第一回ツル保護特別委員会における決定を経て本件ツル募金が始まった。

本件ツル募金に関しては、昭和六〇年四月二三日付けの読売新聞夕刊に掲載された広告文を始めとして合計五回の広告文が読売新聞に掲載された。そして、各広告文においては、「あなたのやさしい心がツルたちを救います。」として、本件ツル募金への協力が訴えられていた。とりわけ、昭和六〇年六月二三日に開催された「タンチョウの保護を考えるシンポジウム」において、鶴居村にサンクチュアリを設置することなどが決議された以降の昭和六〇年八月一三日付けの読売新聞に掲載された第四回の広告文においては、北海道にツルのサンクチュアリを建設しようという呼びかけがなされ、昭和六〇年一一月三〇日付けの読売新聞夕刊に掲載された第五回の広告文において、北海道の鶴居村におけるサンクチュアリ建設のためには一億一五〇万円が必要であり、右募金の使用目的として、土地の買い上げ、電線の地下埋設など周辺の環境整備、観察施設の建設、そのための基礎調査が掲げられた。

イ 本件記述(一)に記載された本件募金収支決算は、第二回ツル特別保護委員会の添付資料と同一であるが、右収支決算によれば、昭和六〇年度の本件ツル募金のうちの支出の中で多いものから順に列挙すると、人件費、旅費交通費及び家賃等という順になる。

被告は、昭和六三年一月一三日及び一四日、原告本部において、当時保護部長であった小河原を取材したが、同月一四日の取材の際、小河原からは、本件ツル募金の収支決算について、保護募金はツル・プロジェクトを進めるための募金であること、人件費については、本件ツル募金から中村とアルバイト二人の費用が支出されていること、旅費交通費はいわば調査費であること、家賃とはツル特別委員会が使用しているスペース分についての面積割りの家賃負担を意味することなどの説明を受けた。また、被告は、本件ツル募金の使途として家賃等に使用されるのはおかしいのではないかとの疑問を提示したが、小河原としては当時項目の整理の仕方が不適当であると考えておらず、その旨の説明をした上、かえって小河原の方で何が不適当なのか聞き返したようなことがあったが、被告は収支決算に対して疑問を抱いたままであった。

なお、本件募金収支決算の項目については、小河原は市田から項目の整理の仕方がまずい、誤解を生むようなことでは困るから整理するように言われたことがあり、また第二回ツル特別委員会において、家賃が書かれているのはおかしい旨の批判がなされたことがあった。

(2) 以上の事実を前提として判断する。

ア まず、本件ツル募金の目的如何について検討する。

一連の広告を通してツルの成育地の確保の必要性が訴えられていることが認められるものの、本件ツル募金の広告文は、昭和六〇年六月二三日になされた原告の鶴居村へのサンクチュアリ設置決議以前において、すでに掲載されており、前記のとおりツル特別保護委員会の活動は、ツルの成育地の確保、サンクチュアリ設置のみを目的としているものではなく、本件ツル募金の目的はサンクチュアリ建設関係に限定されておらず、ツル保護全般に向けられているものと認められる。このことは、本件ツル募金の実施を決定した昭和六〇年一月一二日の第一回ツル保護特別委員会の報告書である同年二月二〇日付の「ツル保護特別委員会レポート」(〈書証番号略〉)における本件ツル募金についての記載でも、川崎の発言として「委員会での活動をすすめる上で、そのもとでとなる資金を募金しよう」との記載があり、今後の活動の方針も、サンクチュアリ建設も含まれるものの、ツル保護の尽力者への謝意の表明、ツル保護のキャンペーンの実施等が掲げられていることからも明らかである。

前記認定のとおり、第四回の広告文では北海道にツルのサンクチュアリを建設しようとの呼びかけがなされ、第五回の広告文においては募金の使途が土地の購入、環境整備、観察施設の建設、そのための基礎調査に利用すると明示されているが、これをもって当初からの募金活動自体もサンクチュアリ建設にのみ向けられていたと認めることはできない。また、「一九八六年二月五日付けツル保護特別委員会レポートNo.4」(〈書証番号略〉)には、同委員会が「…当面の活動第一目標を、鶴居村にツルのためのサンクチュアリを設置することにしました。」との記述があり、さらに、「北海道鶴居村・サンクチュアリの旅、ツアーへのお誘い」なる案内書(〈書証番号略〉)には、「…ツル保護募金を開始したのが1985年1月でした。同年6月、第一目標として北海道のタンチョウ保護のために、鶴居村に活動の拠点としてのサンクチュアリをつくろう、と呼びかけてそれから2年半…。」との記述があるが、右いずれの記述をもってしても、本件ツル募金の目的が当初からサンクチュアリ建設のみに向けられていたものと認めるには十分ではない。

イ 次に本件募金収支決算における支出項目には、「ツル保護に直接かかわりのある項目はひとつもない」とする点について検討する。

右認定のとおり、原告が行った本件ツル募金は単にサンクチュアリ建設にのみ向けられていたものではなく、およそツル保護全般に向けられていたものと認められるところ、ツルの保護といっても、保護の方法には多種多様な方法があり(〈書証番号略〉)、しかもツルの保護を行うにあたっては、人、時間、資金及び物的設備等が必要であったことは容易に推認される。してみると、本件募金収支決算中の各支出項目をもって「ツル保護に直接かかわりのある項目は一つもな」いものと断定することは困難であるというほかなく、また右支出項目がツル保護に直接かかわりがないことを認めるに足りる的確な証拠もない。

本件記述(一)において、被告は、原告が行った本件ツル募金をサンクチュアリ建設のためのものと限定して理解したうえで、本件募金収支決算中の支出項目についてツル保護に直接かかわりがないとしているのであるが(〈書証番号略〉)、その前提が正確でないうえ、たとえ被告のような理解にたったとしても、右支出項目中、ツルの保護に「直接かかわりのある項目はひとつもな」いと断定するに足りる的確な証拠はない。

ウ なお、被告が本件記事において、小河原の発言を「項目の整理の仕方がまずかったんです」というような断定的な表現で記述しているが、前認定のとおり、小河原としては、当時項目の整理の仕方が不適当なものであるとの認識がなく、被告の疑問に対して答えるべく説明をしたものの、被告において右説明を納得するに至らなかったにすぎないことが認められるから、小河原において右の如き発言をしたものとは認めがたい(小河原に対する取材メモ(〈書証番号略〉)には「書き方がまずかった」との記載があるが、右記載は被告自身の理解にしたがって書かれたものと推認することができるのであって、これに反する証人小河原孝生の証言に照らすと、右取材メモから直ちに右記載に相当する発言があったものと認めることはできない。)。

(3) そこで、被告が本件記述(一)の内容について、これを真実と誤信したことについて相当な理由があるか否かについて判断する。

原告が新聞に載せた一連の本件ツル募金の広告文には人件費、旅費交通費及び家賃に使われるようなことは何ら明示されておらず、かえって、第四回の広告文では、北海道にツルのサンクチュアリを建設するため少しでも多くの土地を買上げることができるように協力を依頼し、第五回の広告文においてはサンクチュアリを作るには一億一五〇万円が必要であり、募金の使途として土地の購入、環境整備、観察施設の建設、そのための基礎調査に利用されると明示されている(〈書証番号略〉)のであるから、右広告文を見た被告が本件ツル募金の目的がサンクチュアリ建設にあると判断したとしてもやむを得ない側面があるし、本件ツル募金広告に応じて募金した者にとってみても、募金が前記原告の家賃等の使途に利用されることは予測していないと判断することにもそれなりの合理性が認められること、また、被告は、単に一連の広告文のみに頼って本件記述を執筆したわけではなく、裏付けとして原告の当時保護部長であった小河原から支出項目の説明を受けたこと、小河原自身は支出項目について何の疑問も抱いておらず、被告が意図するところを理解しえなかったと推認されるのであって、そのために被告としては、小河原の説明に対して納得が行かなかったものと認められること、ツル保護の方法といっても多種多様な方法が考えられるところであり、もともと、いかなる支出をもって、ツル保護に直接かかわりのある項目への支出であるのか、間接的なかかわりがあるにすぎない項目への支出であるのか、それともまったく無関係な項目への支出といえるのかについての判断はそれ自体が一義的でなく、またツル保護のあり方に対する理解も一様でない以上、何がツル保護に直接かかわりのあるものなのかについての判断は人それぞれによって、あるいは保護策が要請される時期如何によって異なるものになりうると考えられること、さらには、被告は、一連の広告文の内容に対して検討する一方で、可能な限りの取材をしたといえることを総合考慮すれば、被告が、本件記述(一)において、「ツル保護に直接かかわりのある項目はひとつもな」いと信じたとしてもやむをえなかったというべきであり、真実であると信じたことにつき相当な理由があったものと認められる。

(4) また、前示のとおり、ツル募金の使途について、いかなる支出をもって、ツル保護に直接かかわりのある項目への支出であるのか否かなどについての判断は人それぞれによって異なったものとなることは容易に理解されるところである。さらに、募金をした者にとって、募金がどのような項目に使われたのか、また募金が本来の目的のために用いられているのかどうかについて大いに関心をもつものであるから、募金の使途について問題があれば、これを指摘し、批判を許すことが妥当である。こうした観点から本件記述(一)をみるに、本件記述(一)は、本件ツル募金収支決算の各収支項目を前提として、これに対し被告が本件ツル募金の使途についての論評を加えたものであると評することもできる。そこで、本件記述(一)については、被告が真実に基づく論評をしたものとして、いわゆる公正な論評の法理により不法行為責任を免責されるかどうかについて、以下検討する。

人の名誉権が保護されることはいうまでもないことであるが、他方公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは表現の自由の行使として尊重されるべきものであって、論評が公共の利害に関する事項について、かつ公正になされるときは、その論評の対象となる人の社会的評価が低下することがあっても、右論評は違法性を欠き、名誉毀損としての不法行為責任を問われないと解するのが相当である。そして、論評が違法性を欠き、名誉毀損としての不法行為に当たらないといえるためには、公共の利害に関する事項について、専ら公益を図る目的のもと、論評の前提としている事実が主要な点において真実であるとの証明がなされるか、または真実であると信じるにつき相当な理由があること、当該論評が人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでないことが必要であると解すべきである。

本件記述(一)が公共の利害に関する事実に関し、専ら公益を図る目的で執筆されたものと認められることは、二1及び2で判示したとおりであり、また、被告が論評の前提とした本件募金収支決算に誤りのないこと及び被告が小河原から本件収支についての取材をなし、同人から右収支決算についての説明を受けてもなお、本件ツル募金の支出先について納得することのできる説明を受けられなかったと感じたことも、二3(二)(1)で判示したとおりである。

そして、本件記述(一)は、真実である本件募金収支を前提に、被告が取材過程で感じた疑問を明らかにして、本件ツル募金の支出先の相当性について論評を加えたものであり、論評の域を逸脱したものとは評価しえないうえ、本件ツル募金の目的がツルのサンクチュアリ建設のためと断じている部分も、第五回目の広告文を前提とする限り、論評の手法として全く許されないとはいいえないから、本件記述(一)の掲載は、公正の論評の法理の観点からしても、名誉毀損の不法行為に当たらないというべきである。

(三) 本件記述(二)について

(1) 前記第二の一の争いのない事実に証拠(〈書証番号略〉、証人市田、同山口、被告本人及び弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

ア 国際ツル財団は、アーチボルド及びロナルド・サウエイによって昭和四七年に設立された組織である。アーチボルドは、同人が日本において無名であったころから、山口から生活費や活動費等の援助を受けたことがあった。

イ 昭和六一年六月一日、カナダのオタワにおける国際鳥類保護会議の会合にて、原告のツル保護特別委員会(前認定のとおり、この委員会は原告の特別委員会として発足しているが、〈書証番号略〉によれば、その事務局員も原告の職員の他国際ツル財団日本支部に属する者も含まれている。)の中村と国際ツル財団のアーチボルドとが昭和六二年五月に開催が予定されていたチチハル会議のことで話し合い、その結果ツル保護特別委員会は、右チチハル会議のために、「世界のツル」という小冊子を出すことに賛同した(なお、本件記事(二)(1)では、「去年四月」と記述されているが、正確には「去年六月」であることには、当事者間に争いがない。)。また、原告は、アーチボルドから、ケニアのカンムリツルと湿原の研究を支援するために二〇〇〇ドルの資金援助が要請されたことを受けて(右援助の要請は、昭和六一年八月一四日付けのアーチボルドから市田個人宛の書簡(〈書証番号略〉)でもなされている。)、原告は現に資金援助をした。

なお、右チチハル会議には、原告関係者は出席していない。

ウ 昭和六二年一月八日、アーチボルドが来日して原告を訪れ、市田と話す機会を得た。その際、国際ツル財団日本支部の訴外後藤優美(以下「後藤」という。)が両者間の通訳という形で立ち会った(同女は、ツル保護特別委員会の委員でもあった。)。

同日、市田はアーチボルドに対し、原告がチチハル会議に会員を出さない理由について、山口がいろいろと原告のことを悪くいいふらしているからツルに関してはなるべくふれたくないと話し、さらに山口が書いた手紙のコピーもとってあり、それによって大きな被害を被ったとも話した(〈証拠判断略〉)。

エ アーチボルドは、昭和六二年七月二日付で山口に対して、「ICFJ(国際ツル財団日本支部を指す。)による野鳥の会批判のすべてに対し、同意するわけにはいきません。したがって、ICFJには、日本ツルクラブといったようなべつの名称にかえてほしいのです。……8月1日に貴方やその他の役員の方がたとお会いし、この問題について……話し会いましょう。」という内容の書簡(〈書証番号略〉)を送った。アーチボルドが国際ツル財団日本支部に対して、その名称を使わせないようにすることについては、何ら事前の相談もなかった。

これに対して、山口を含む国際ツル財団日本支部としては、本部と協調して活動してきたにもかかわらず、右のような書簡を書いてきたということは、非常に無礼極まりない、人を侮辱している書簡であると判断し、またアーチボルドが話し合いを求めていたものの、右書簡に「we have decided」との記載があり、右をアーチボルドにおいて、右の件に関し話し合いの余地はないとの意思表示の現れと解釈したため、これを拒否した。結局、国際ツル財団日本支部は、昭和六二年七月に解散した。

(2) また、前記第二の一の争いのない事実に証拠(〈書証番号略〉、証人市田、同小河原、同山口、被告本人及び弁論の全趣旨)を総合すれば次の事実が認められる。

ア 本件記述(二)(2)で問題となっている委託調査は、「国際保護鳥ナベヅル・マナヅルの保護・管理手法に関する基礎研究」を指し(このことは当事者間に争いがない。)、環境庁国立機関公害防止等試験研究費を得て、文部省・国立科学博物館が主体となって、昭和六〇年四月に始まり、平成元年までの五年間にわたり実施されたものであり、その調査の一部については、民間の財団法人日本鳥類保護連盟及び研究者が行ったものである。なお、右調査には、原告の初代事務局長であった内田が調査員として参加していたが、右調査については原告の方に委託の話はなかった。

イ また、同記述(二)(2)で問題になっている「ツル募金の決算報告」とは本件ツル募金収支決算を指し、昭和六〇年度分(昭和六〇年四月一日から昭和六一年三月三一日)のものである。したがって、本件ツル募金収支決算は昭和六一年四月以降に出されたものであると認められる。

ウ 小河原は、第二回ツル保護特別委員会が開催された昭和六一年六月七日よりも後の原告内部の運営会議のような場において、市田から、山口が環境庁あたりに本件ツル募金収支決算を持って回って騒いでおり非常にけしからんというような内容の話を聞いた。

エ 山口は、本件ツル募金の収支決算書のコピーを持参等して、他者にその内容を吹聴したようなことはなかったが、現に原告の関係者や環境庁の方に右決算書のコピーが送付されるということがあった。

(3) そこで、まず本件記述(二)(1)について検討するに、国際ツル財団と原告とは別の組織であるにもかかわらず、ツル保護特別委員会の中村(同女は原告の職員である。)は、同委員会が国際ツル財団が行うチチハル会議のために、ツルの小冊子を出すことに賛同したのであるが、この点についてアーチボルドは、山口に宛てた書簡(〈書証番号略〉)の中で、右の件に関しツル保護特別委員会の賛同を得たことを明らかにし、さらに続けて、「英語、日本語及び中国語で出版されるでしょう。」とも記載しており、右小冊子出版への動きが具体化していたこと及びツル保護特別委員会がツルの小冊子の出版にかかる費用を援助するという話がなされたものと認められる(右書簡によれば、アーチボルドは、ツル保護特別委員会が「agreed to publish」したと記載している。なお、さらにアーチボルドが原告に対して、ケニアのツル及び湿原保護のための資金援助を求めていること(〈書証番号略〉)からすれば、アーチボルドが原告を重要な資金援助源として認識していたことが認められる。)。そして、右のとおり、昭和六二年一月八日アーチボルドが市田から、原告がチチハル会議に会員を参加させない旨の発言をされ、このことは結局、原告のチチハル会議に対する協力を拒否するものであり、かつツル保護特別委員会の、チチハル会議のための右小冊子に対する援助も拒否することを意味するものであることは容易に推認できるところであり、したがって、アーチボルドとしてもかなりのショックを受けたものと認められる(〈書証番号略〉)。

また、前記認定のとおり、アーチボルドは山口から活動費等の援助を受けたことがあり、昭和六一年七月三〇日付けの山口宛の書簡(〈書証番号略〉)においても、ツル保護特別委員会からチチハル会議のための小冊子を出すことについての賛同を得たことやケニアのツル等の保護のための資金援助を原告から取り付けたことなど報告する間柄でもあったが、他方、少なくとも昭和六二年一月八日以前にも、国際ツル財団日本支部内において山口に対する批判はあり、アーチボルドは、山口に支部長を辞めてもらい、誰か別の人に支部長になってもらうことを考えていたことが認められる(〈書証番号略〉)。しかし、右事実からは、アーチボルドにおいて国際ツル財団日本支部の支部長を代えるという考えはあったとしても、さらに進んで国際ツル財団日本支部を廃止するという考えがあったとまでは認めることはできない。これに対し、昭和六二年七月二日付けのアーチボルドからの山口宛の書簡(〈書証番号略〉)においては、国際ツル財団とは別の名称に代えてほしい、言い換えれば、国際ツル財団としての名称を使わせないという内容を通告しているのであるが、このことは、要するに本部と日本支部との関連性を断ち切ることを意味するものであると解される。また、右書簡では、右のような名称変更の申出の理由として、国際ツル財団日本支部の原告に対する批判すべてに対し同意するわけにはいかないことを挙げており、このことは国際ツル財団日本支部の原告に対する批判が国際ツル財団の「本部にそぐわない行動、あるいは本部の事業にマイナスになりかねない行動」と判断されたとするものであって、結局アーチボルドの国際ツル財団日本支部に対する態度は大きく変更したものということができる。そして、右のとおりアーチボルドがその態度を変更させた原因である、国際ツル財団日本支部の原告に対する批判については、アーチボルド自身が、前示認定のとおり、昭和六二年一月八日に市田から聞かされた話も含まれているものと推認されるところであり、以上みてきたところを総合すると、国際ツル財団日本支部は、山口ら自身が解散したものであるとしても、国際ツル財団としての名称使用を拒絶され、同組織としての存続する意味がないものとして、山口らは国際ツル財団日本支部を解散するに至ったものというべきであるが、アーチボルドは、原告という組織が国際ツル財団の活動にとって資金的にみても重要な地位を占めていること等から、国際ツル財団日本支部が原告を批判することには賛成することができず国際ツル財団日本支部を国際ツル財団とは無関係な組織とする必要があったことによると推認することができる。すなわち、アーチボルドが国際ツル財団日本支部にその名称を使用させないことにしたことに関しては、市田がアーチボルドに対し、原告はチチハル会議に会員を出席させず、その原因としては山口の行動により原告が大きな被害を被ったからである旨の発言をしたことが重大な影響を与えたものと認めることはできるものの、アーチボルドの右行動は、同人が国際ツル財団日本支部と原告とを比較衡量したうえ、国際ツル財団自身の判断として、原告との関係維持、改善の道を選択したとの要素を否定できないのであり、結局被告の指摘する「市田の圧力」と「国際ツル財団日本支部の解散」との間に相当因果関係を肯認することまでは困難であるというほかない。

(4) 次に本件記述(二)(2)について検討する。本件ツル募金収支決算は少なくとも昭和六一年四月以降に出されたものであるから、本件記事中にあるように、山口が右決算報告を吹聴したがために原告が国立科学博物館による調査を受注できなかったというためには、原告が右調査に途中から参入しようとしたことが認められなければならないが、本件全証拠によっても原告が右調査に途中から参入しようとした事実は認められない。そうすると、本件記述(二)の(2)は、山口からの取材に基づき、ほぼ正確に同人が述べたところを再現したものであるものの、その内容は事実に反するものであり、被告が本件記述(二)の(1)及び(2)で記述した「市田の圧力」と「国際ツル財団日本支部の解散」との相当因果関係を肯認することができないことは前記のとおりである。

(5) そこで、被告が本件記述(二)の内容について、これを真実と誤信したことについて相当な理由があるか否かについて検討する。

前記市田のアーチボルドに対する発言が、アーチボルドの国際ツル財団日本支部に対する名称使用をさせないとする行動の要因の一つになったことは認められるところであるが、本件記述(二)は、ほぼ全面的に山口からの取材に基礎を置くものであるところ、本件記述(二)の(2)に関する山口の発言には誤りがあり、かつ右誤りは「鳥獣連盟のツルの委託調査」の時期を調査すれば容易に判明しえたものと認められること及び右記述(2)も本件記述(二)の(1)の記述の基礎となっていると認められることからすると、本件記述(二)について、被告において真実と信ずることについて相当の理由があったものとは認め難い。

(四) 本件記述(三)について

(1) 証拠(〈書証番号略〉、証人小河原及び被告本人)によれば、先に判示したように、被告が、昭和六三年一月一三及び一四日の両日にわたって、原告の本部において、小河原を取材した際、同人から本件ツル募金の使途、サンクチュアリ構想、鶴居村サンクチュアリへのツアー、沖縄の山原地区の保護活動の問題などの話がなされたこと、右取材の中で、小河原は、鶴居村のツアーの件につき、ある程度収益を得ることは格別問題はないのであって、カスミを食べては生きていけないという内容の、また「自然保護ではメシがくえない 私のほうはくえるようにしたいと思っている」という内容の発言をしたこと、さらにサンクチュアリの建設された鶴居村の件について、村長から、被告が本件記述(三)に掲載した内容の発言があり、その内容については、要するに、村長の方で原告に対して地域開発に反対するものとして当初警戒していたが、原告が鶴居村の地域振興に対して非常に配慮していく団体であることがわかって安心し、鶴居村のサンクチュアリのオープンに際し、協力しなかったことに対して小河原に詫びたことがあったという内容の話であったことが認められる。

(2) 被告は本件記述(三)において、前判示のとおり、「メシのくえる」との趣旨は、その主体が原告自身であることをも意味するものとして、かつ、その側面を強調し記述している。しかし、小河原自身は、被告からの取材の中で、個別的には、前記のような発言をしながら、「メシのくえる自然保護」の意味としては、地元の人々が生活していくことができるような地域振興の中での自然保護を意味するものとして説明し、また、同人が鶴居村の村長の発言を引用したのは、要するに鶴居村の人々の生活が成り立つことを前提に自然保護を図ろうとすることが原告の立場であることを理解してもらえたとの趣旨であると認められる(証人小河原)のであって、小河原において、被告に対し、「メシのくえる」主体を原告自身であるものとして強調したとの事実は、これを認めるに足りる証拠はない。

また、本件記述(三)のうちの、原告自身が「メシのくえる」ために委託調査を片っぱしから受注しなければならないとの部分についても、昭和六一年度の収入における受託収入の占める割合は被告が本件記事で指摘するとおり総収入四億三四六二万円中の一億一四三一万円であるが(〈書証番号略〉)、そのことから直ちに原告が「自然保護でメシをくう」ために片っぱしから委託調査を受注しているもの、あるいは、受注しなければならなくなるものと認めるには十分でない。

(3) 以上のとおり、本件記述(三)については、原告の存続やその職員の生活も確保しなければならないという意味であればともかく、原告の存続やその職員の生活のために自然保護活動をしているという点においては、これを真実であると認めるに足りる証拠はないというほかない。

(4) そこで、被告が本件記述(三)の内容について、これを真実と誤信したことについて相当な理由があるか否かについて判断する。

ア 本件記述(三)(1)において摘示された事実についてみると、小河原が「メシのくえるようにしたい」と述べた意味はあくまでも地元住民が生活できるような地域振興のもとでの自然保護という意味であったところ、被告が行った小河原に対する面接取材の際、小河原自身が「収益を得てなぜ悪いのか、カスミ食って生きていけん」という内容の発言をしており、その後の会話の中で右「メシのくえるようにしたい」との発言がなされたことからすれば、被告において、「メシのくえる」主体を原告自身であると判断したことも全く理解できないわけではない。

しかし、右記述部分は小河原の発言を引き合いに出した部分であって、事実を摘示したものなのであるから、被告は、小河原から、前認定のとおり同人のいう「メシのくえる」意味の説明を受けた以上、本件記事を執筆するにあたっても、小河原の発言する趣旨通りのものとして記述すべきであったといえる。

なお、被告の八重子に対する取材メモ(〈書証番号略〉)においては、「(中西が)生きていたら大反対だろう、メシがくえる自然保護には」との記載があることからすると、八重子は「メシがくえる」主体としては原告自身であるものとして理解をしていたものと推認され、そのことが被告の前記のような理解の裏付けとなったことが窺われるけれども、本件記述(三)(1)においては、小河原自身が取材においていかなる趣旨の発言をしたのかが重要な点である以上、右認定を左右するに足らない。

イ また、右(三)(2)の記述において被告が「自然保護でメシをくうためにはこういう委託調査を片っぱしから受注しなければなるまい。」ものと判断した根拠は今一つ明らかではないが、原告の総収入中に占める受託収入の割合が約二割に達していることを根拠の一つとしていたものと推認される。確かに、原告の昭和六一年度の収支計算書(〈書証番号略〉)によれば、総支出中に占める人件費の割合は約二一パーセント(一般支出中約三八パーセント)に達しているが、右人件費との対比のみをもって、本件記述(三)(2)において摘示した事実が真実であると誤信したことに相当の理由があるとは認められない。とりわけ、委託調査は原告の寄付行為において、原告の行う事業の一つとして掲げられている(〈書証番号略〉)ことに鑑みると、被告が右記述において摘示した事実が真実であると誤信したとしても、誤信するについては相当程度の根拠事実が求められるというべきであるところ、かかる事実を認めるに足りる証拠もない。

ウ 以上のとおり、本件記述(三)について、被告において真実であると信ずるにつき相当の理由があったと認めるに足りる証拠はないというべきである。

(五) 本件記述(四)について

(1) 証拠(〈書証番号略〉及び証人小河原)によれば、原告は、蒲生海岸の鳥類についての環境アセスメントの受託について、原告の立場としては、国際貿易港建設を目指した「仙台湾港湾計画」の阻止が難しいと思われる状況下においては、ただ建設反対という姿勢を貫くよりも蒲生干潟をいかに良い状況で保護保全を図っていくかの観点から、宮城県に積極的に働きかけて行くのも一つの方法ではないかと考えていたこと、そして、原告は蒲生海岸を鳥類生息地として保存し、近い将来にサンクチュアリとして保護管理することを前提として、宮城県から環境アセスメント調査を受託したこと及び蒲生干潟保護に関しては、原告の会員有志によって結成された蒲生を守る会が存し、その存在が原告においても認識されていたことが認められる。

(2) 一方、証拠(〈書証番号略〉及び被告本人)によれば、右蒲生を守る会は蒲生海岸の埋立に反対し、右埋立を伴う開発のための環境アセスメントを原告が引受けたことを強く批判する立場をとっているが、その発刊する「蒲生を守る会だより」には、原告が受託した右環境アセスメントには問題のあることの指摘、原告が国際貿易港建設計画に反対するよりは内部に入って協力することとし、そのかわりに開発をまぬがれた干潟部分をサンクチュアリとして保護管理するための協力を約束してもらった旨の記事、さらに、右の点について、原告が残された干潟部分への同会管理のサンクチュアリ建設の約束と引き換えに埋め立てを承認し、埋め立ての必要手続である環境アセスメント調査を契約したとの意見等が掲載されていること、被告は本件記事を書くにあたって「蒲生を守る会だより」を参考にしたことが認められる。

(3) 右認定事実を総合すれば、被告が本件記述(四)で指摘するような原告と宮城県との間で何らかの「取引がおこなわれた」のではないかと評価を加えることができないわけではない。

しかし、前認定のとおり、被告の本件記述(四)における「取引」の意味は、原告が宮城県側に都合のいい環境アセスメントを行うのと引き換えに原告が干潟のサンクチュアリとしての保護管理を行うという趣旨と理解されるものであり、かかる意味合いにおいて「取引」が行われたものとして、断定的な表現をもって積極的に事実摘示を行っているものと認められるのであるが、前記(2)の認定事実を考慮しても、右「取引」の事実を認めるに足らず、他にはこれを認めるに足りる証拠はない。

なお、被告が本件記述(四)において指摘する「開発主体に都合のよいアセスをしない限り評価されず、二度目の受注がとれない」との環境アセスメントの背景事実について、被告の山口に対する取材メモ中には、「有利な答ださないとつぎくれない」との被告の右記述内容に沿うかの如き記載があるが(〈書証番号略〉)、この記述のみをもって右事実を肯認するには足らない。そうすると、本件記述(四)は、その主要部分において真実であるとの証明が十分でないというほかない。

(4) そこで、被告が本件記述(四)の内容について、これを真実と誤信したことについて相当な理由があるか否かについて判断する。

「蒲生を守る会だより」(〈書証番号略〉)には、原告が宮城県との取引をなしたかの如き意見が記載されていることは前認定のとおりである。しかし、蒲生を守る会は、原告が環境アセスメントを引き受けることについて反対の立場を採っていることは明らかであり(〈書証番号略〉)、かかる一方の立場に基づいて執筆する場合において、記事の真実性を担保するためには、相手当事者からも可能な限り取材する必要があると解されるのであり、その真意を聞き出すためには可能な限り直接取材することが求められるものと解される。しかるに、被告が、蒲生に関する環境アセスメントに関する原告の立場について直接取材したことは、本件全証拠によっても認めることができない。また、もともと本件記述(四)自体、基本的には「蒲生を守る会だより」に基づいて執筆されたものであり、蒲生を守る会についても、被告は、同会の山田に対して若干の電話取材を行ったのみであって、被告は、本件記述(四)の執筆にあたって、右「蒲生を守る会だより」の見解をほぼそのまま採用したものと推認せざるをえない。以上からすれば、被告が行った本件記述(四)に関する取材は不十分であると認められるのであって、被告において、本件記述(四)において摘示した事実を真実であると誤信したことについて相当の理由があるものとは認められないというべきであるし、公正な論評の法理の主張も採用し難い。なお、被告において、月刊誌用の記事ということで取材日数が限られていたことは否めず、また市田が昭和六三年一月一三日以後の取材を拒否する態度を取ったことを考慮しても、本件記事の蒲生問題に関する原告の立場について直接取材をなすことが不可能であったとは認められない。

(六) 本件記述(五)について

被告は、資金部が常務理事に直属していること及び市田が常務理事及び事務局長を兼務していることを挙げて、市田をして原告内部において天皇というにふさわしい権力を集中させていると論評しているが、右事実のうち市田が常務理事と事務局長を兼務していることは当事者間に争いがない。

(1) そこで、右記述中、市田が原告の「金庫のカギをにぎっている」といえるかどうかについて検討する。

証拠(〈書証番号略〉、証人市田)によれば、本件記事が宝石三月号に掲載された昭和六三年当時原告の資金部は組織上専務理事の下に位置付けられており、資金部の役割は新たな法人特別会員の勧誘にあり、訴外野口英夫がボランティアとして資金部長に就任して、法人会員の勧誘にあたっていたことが認められる。

右事実によれば、原告の資金部は、法人特別会員の勧誘を担う部署にすぎないものと推認され、右資金部が被告の主張するように原告の資金の管理運営という高度な役割を担っている「金庫」と呼べるような部署であると認めるに足りる証拠はない。

なお、被告本人は、原告の資金部を「金庫」であると判断した理由として、「野鳥」四八五号(〈書証番号略〉)において、原告の事務局体制として、その組織図において資金部は常務理事に直属していると表示していることを挙げているところ、証人市田は右組織図は誤記であると証言している。しかしながら、原告の発行する書籍類には、前記のとおり、資金部を専務理事の下に位置付けるもの、常務理事の下に位置付けるもののほか、単に資金部は事務局内に設置された旨の記載があるもの(昭和六一年五月号「Bird News」、〈書証番号略〉)が存在し、結局資金部の位置付けとしては三通りの記述があったことが認められ、これに〈書証番号略〉(小河原作成のメモ)を照らし合わせると、資金部が常務理事に直属しているとの組織図の記載のみが誤記であるとの右市田の証言はにわかに措信しがたい。しかしながら、昭和六二年七月の原告の事業案内において、資金部は明確に専務理事の下に位置付けられているのであるから(〈書証番号略〉)、資金部が常務理事の下に位置付けられているとする記述が真実であると認めることはできないというべきである。そうすると、資金部の組織上の位置付け及びその役割をもって、市田が天皇というにふさわしい権力を集中させているとの論評をする根拠事実として認めることはできない。

(2) 次に、本件記述(五)(2)は、「『市田天皇』のマキャベリズム」の例証として記載されたものと認められるところ、「各県支部の役員が副会長、理事9人を占めている」ことは争いのない事実である。そして、各支部役員である理事らが市田天皇の股肱の臣であり、川崎及び塚本両理事は市田のイエスマンであるとの記述については、証拠(〈書証番号略〉、証人市田、同小河原、被告本人及び弁論の全趣旨)によれば、昭和五四年以降、原告内部において、本部支部一本化が進められたが、本部のやり方に対して中央集権的であるとの批判も存したこと、本部支部一本化の問題に関連して、訴外石川敏雄が支部長を勤めていた千葉県支部及び訴外池谷泰文が中心となっていた埼玉県支部がそれぞれ昭和五六年及び昭和五九年にその承認を取り消されたこと及び市田は茨城支部長を勤めていた川崎を常務理事として引き入れたことが認められるほか、山口に対する被告の取材メモ(〈書証番号略〉)には、川崎が「ポストのため恩師をすてて市田とくんだ、切れる人でないので市田は利用できた」という本件記述(五)(2)に沿う記載が存し、被告本人の尋問結果によれば、中西により真正に作成されたものと認められるよびかけ文草稿(〈書証番号略〉)の「五四・八・一四」との欄において、川崎のことを「全くの市田のロボット役者でしかない。」と評し、また、中西の弟子的存在であった塚本について、「五四・一〇・一八」との欄において、塚本が中西に対して「実はもう上司と約束してしまったのです。約束はいまさら翻せません。上司の命令はきかねばなりません」といい、上司とは「市田君です」と答えた旨の記述があることが認められるが、他方冒頭各証拠によれば、各県支部の役員も多数原告の理事に就任しているところ、その選任に関しては、地方選出の評議員からなる役員選考委員会が原則として案を作成し、また学識経験者等からの理事に関しては、理事会の方から候補者名簿を毎回提出し、評議員会で各理事を選出していることが認められる。そうすると、少なくとも制度的には市田が川崎や塚本ら理事の人選を左右する立場にないことは明らかであり、〈書証番号略〉のみから川崎及び塚本が市田のイエスマンであると断定するには飛躍があるというべきである。

(3) 以上の次第で、本件記述(五)については、その主要な点で真実であると認定することはできないので、被告が本件記述(五)について、これを真実と誤信したことについて相当な理由があるか否かについて判断する。

本件記述(五)(1)については、原告の資金部の組織上の位置付けからくる推論が被告の記述の重要な根拠の一つとなっているものと認められるところ、被告の記述には、右事実についての誤りがあり、また、市田への天皇というにふさわしい権力集中との評論をなすにあたっては、資金部の組織上の位置付けのみならず、その役割如何も重要であるというべきであるが、被告は取材の中で資金部の役割について特に取材したことを認めるに足りる証拠はないから、被告において、市田への天皇というにふさわしい権力集中との論評をしたことに関し、その前提となる重要な事実について真実であると信じたことにつき相当な理由があったものとは認めることができない。

もっとも、被告は、右記事を執筆するにあたって、八重子、山口、竹下及び石川に対して直接取材をし、同人らからは、市田に関して、その「専横振り、あるいは中西が市田のクーデターによって追い込まれた」との話を聞き及んだこと、原告内部における市田への権力集中についての市田に対する取材に関しては、被告が一月一三日の小河原に対する取材後偶然に市田に会い、その結果同人に対する取材ができたほかは、特に被告が右八重子等を通じて市田の専横振り等の証言を得るに至った以降については、市田から取材拒絶の態度を取られたことが認められる(〈書証番号略〉、証人山口、被告本人)けれども、先にみたとおり資金部に関する市田の関与についての裏付けを欠く以上、被告が本件記事(五)を執筆するにあたり、市田が原告内部においていわゆる実力者であるとしても、それが市田天皇というにふさわしい権力を集中させているとの論評をなすにあたって、その前提となる事実が真実であると誤信したことに相当の理由があったものとは認められない。

三以上のとおり被告が本件記事のうち、本件記述(二)ないし(五)を執筆し、これらの記述を宝石三月号に掲載したことは、原告の名誉を毀損する不法行為を構成するものというべきである。

四争点5(原告の損害額)について

証拠(〈書証番号略〉)によれば、原告は、昭和六一年ころには約二万人の会員を擁し、本件記事の掲載後である平成四年においても三万六〇〇〇人もの会員を擁していること、昭和六三年一二月には訴外早瀬廣司夫婦から原告に対して五五〇〇万円もの多額な寄付がされ、「早瀬野鳥保護基金」を設立したこと、平成元年一一月には日本企業によるアジア野鳥保護の会が発足し、原告がその事務局を担当することになったこと、平成二年五月には右早瀬野鳥保護基金により北海道鶴居村にタンチョウの繁殖する湿原約二〇ヘクタールを購入したこと及び平成三年には千歳川放水路建設反対の意見広告掲載のための募金を受け付けたところ、全国から七〇一件、金二二七万七七三五円の募金を集めることができたことが認められる。これらの事実及び本件記述(二)ないし(五)の内容を総合すると、原告は右記述部分の掲載にも拘わらず、なお原告の自然保護活動に対する社会一般の理解は得られているものと推認されるのであって、このことと右記述部分は本件記事の一部であること及び前記第三において認定・検討してきた諸事情を総合考慮すれば、原告が被った損害は四〇万円とするのが相当である。また、弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、相当額の費用の支払を約束しているものと認められるが、本件訴訟と相当因果関係にある訴訟代理人に対する費用相当の損害金については、一〇万円と認めるのが相当である。

次に、原告は被告に対して、別紙記載の謝罪広告の掲載を求めているが、本件記事を月刊誌「宝石」(昭和六三年三月号)に掲載した光文社は、原告に対し、右月刊誌「宝石」の平成元年六月号において謝罪の意思を表明したことに照らすと、さらに原告の請求するような謝罪広告を掲載する必要があるとまでは認められない。

五結論

以上によれば、原告の本訴請求は、金五〇万円及び内金四〇万円に対する不法行為のあった日である昭和六三年二月五日から、内金一〇万円に対する本訴状送達の翌日である平成元年八月二五日から、各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由がある。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宗宮英俊 裁判官深見敏正 裁判官野々垣隆樹)

別紙第一 謝罪広告〈省略〉

別紙第二 名誉毀損箇所一覧表

番号 箇所(頁、段) 記述内容

(一) 一六三、一ないし三段目

サンクチュアリ建設のため、野鳥の会は一九八五年一月にツル保護特別委員会をもうけ、募金を開始した。浄財はすでに八千万円をこえている。…昭和六十年度末、さきおととし三月末現在、集まったツル募金はしめて二千二十万円余。問題はその内訳だ(一六五ぺージ参照)。大きい項目を上から順に三つ拾うと、人件費七百六十万円、旅費交通費四百七十六万円、家賃百三十八万円とある。ほかにもツルの保護に直接かかわりのある項目はひとつもなく、全部で千七百二万円余を費やして、残金三百八十万円余となっている。「あれは、項目の整理の仕方がまずかったんです。」…いかにも合理的な計算だけれど、ツルのサンクチュアリへと浄財を寄進した善男善女たちは、使途がこのように化けたと知ればおどろくにちがいない。

(二)(1) 一六三、三段目〜一六四、一段目

「去年四月、野鳥の会ツル保護委員会の中村さんは、カナダでひらかれた国際会議に出て、『五月の国際ツル会議の資金援助をする』といって、国際ツル財団をよろこばせた。ところが、そのあと、会長のアーチボルドが日本にきて、野鳥の会の市田則孝事務局長と会ったとき、『山口のやっている日本支部があるかぎり、ビタ一文出せない』と、態度をかえてしまった。おどろいたアーチボルドは、『外国支部は廃止することにした』と、一方的に通告してきました」

(2) 一六四、一段目

「実は、文化庁が三年計画で五千万円を出し、いま鳥獣連盟がツルの委託調査をやっている。野鳥の会はこの調査を受注できなかったんです。市田さんは『おかげで資金繰りに齟齬をきたした』といってる。調査をとれなかったのは、『山口があのツル募金の決算報告をあちこちに吹聴したからだ』と、根拠もないことをいっています。その腹いせでしょう。ツル財団本部とうちとの仲をさいてしまいました」

(三)(1) 一七三、一段目

野鳥の会の小河原氏は、ツルのサンクチュアリ、ヤンバル自然保護計画をひきあいに、“メシのくえる自然保護”を強調し、「サンクチュアリのある鶴居村の村長さんが、『野鳥の会は開発に反対するのかと、はじめは警戒したが、そうでないとわかって安心した』といわれたとき、うれしくて涙がでましたよ」と語る。

(2) 一七四、三段目

自然保護でメシをくうためには、こういう委託調査を片っぱしから受注しなければなるまい。

(四) 一七五、一ないし三段目

日本の場合、環境アセスは客観的な第三者でなく、開発の主体である行政とか企業がおこなう。彼らに都合のいいアセスをしないかぎり評価されない。受注側からすれば、二度めの注文がとれなくなる。野鳥の会も、その例外ではなかった。現在進行中のサンクチュアリ計画につながる蒲生干潟環境保全対策基礎調査がそれだ。このサンクチュアリこそは、開発のための免罪符なのである。なぜか。…野鳥の会は環境アセスメントをひきうけ、鳥類への影響をしらべた。そのさいに、“取引”がおこなわれた。埋めたて海域の一角に干潟をのこして、そこを野鳥の会管理のサンクチュアリにするというおいしい話である。そのサンクチュアリをふくむ蒲生干潟保全管理計画も、当然のことのように、宮城県からの委託事業として受注したわけだ。…これこそ、開発に身売りした“メシくう自然保護”のなれの果てでなくてなんであろうか。…みずからの恥部…。

(五)(1) 一六五、二段目

常務理事は直属の形で資金部をもつが、これは“市田天皇”が常務理事と事務局長を兼任していることを考えあわせるなら、きわめて注目に価する。…市田氏は事務局を掌握すると同時に、事務局とは切りはなした形で、常務理事として、野鳥の会の金庫のカギをにぎってもいる。そして、常務理事である以上、理事会のメンバーであって、会の運営の中枢にも参画するわけで、まさに天皇というにふさわしい権力の集中である。

(2) 一七六、二及び三段目

野鳥の会の役員は…各県支部の役員が副会長一人、理事九人を占めている。野鳥の会が草の根組織であることのデモンストレーションにはちがいないが、天皇の股肱の臣なのではないか。少なくとも、川崎惟男専務理事と塚本洋三常務理事は、市田氏のイエスマンとなることによって、中西悟堂氏の生前からつづいて、不死鳥のようにポストを追われずにいる。

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